アイデアを実現させる環境論

吉川 浩

(日本大学理工学部広報誌「理工サーキュラー(No.87)」の「イマジネーショ
ン・インスピレーション」欄に掲載.96年1月発行)


はじめに

 知識をもとに想像力(イマジネーション)をもってひらめき(インスピレー ション)を得ることは大切なことですが,本文ではそのひらめきを実現するた めの環境について述べたいと思います.私は7年前に本学より派遣されて米国 のマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボで研究する機会を得まし た.その時に日米の研究環境の違いを色々と知ることができました.MITと いえば理工系では世界的に有名な大学なので,そこの学生(あるいは大学院生) は天才ばかりだと思っていました.しかし,実際にMIT行って一緒に研究を おこなってみると,天才が居ないわけではありませんが,個人のレベルでの平 均的能力(学力)は日本の学生と大差はないと感じました.たとえば,MIT の大学院の授業で行列の積の基本的事項を教えていて,「彼(彼女)らはこん なことも大学で教わらなかったのか」とショックを受けている日本人研究者が いました.しかし,研究の結果を比較すると大きな違いがあることを否定でき ません.一般的に日本では原理が既に知られているものを実用化する点では優 れているが,新しい原理(アイデア)を考え出すのは苦手だと言われています. その原因を考えてみると,日本人はアイデアを生み出すのが苦手と言うよりも, アイデアを生みだし実現に移す「環境」に恵まれていないのではないかと感じ ました.この違いを簡単に言えば,日本は同一・横並び指向で,米国は個人・ 競争指向といえます.どちらが良いか悪いかということよりも,その違いを知っ てもらうために私の独断的印象を書かせていただきます.

違いを尊重

 米国は人種・文化・宗教などの異なる様々な人々がいます.そこで,初等教 育ではまず「人と自分とは違う」ということ,その違いを尊重するように教え ます.ある事に対してみんなが同じ考えを持つ訳ではないので,「人とは違う 自分の意見」をつねに要求されます.しかし,「いつも人と違うことを言わな ければならないのは疲れる」と言う人が居ることも事実です.  研究においては「独創性」が重要ですが,これはまさに「人とは違う」こと が要求されるわけです.大学においても,大学院生などが新しいアイデアを出 したとき,指導教員は明白な誤りがない限りそのアイデアを尊重します.また, 研究テーマについても「自分の意見」が求められるので,学生自身がじっくり 考えて自分のテーマを決定します.決してお仕着せのテーマではないので,研 究への取り組みも熱心です.

経済的自立

 米国の大学生の多くは自分で学費を払っていると聞きます.学費は高いので 奨学金制度が充実しているようです.特に大学院では,大学で研究をおこなう と(本人の能力にもよりますが),学費免除で給与まで支払われる制度(RA: Research assistant)があります.この資格を得れば,学費の心配もなく研究 に没頭できます.学生が研究計画書を提出することもあるので,良い研究のア イデアを思いつけば,資格を得るときにも有利になります.この財源は教員が 外部から取ってくる補助金や委託研究費があてられます.つまり,外部から研 究費をたくさん取れる教員は優秀な院生をたくさん集められるわけです.これ は,見方を変えれば教員も院生も良い環境を得るためには競争に勝たなければ ならないと言うことです.

スペシャリスト

 授業のシステムも大きく異なります.日本では広い範囲のことを一通り教え てジェネラリスト(万能家.厳密には専攻学科に対して広い知識を持つ人)を 育成しますが,米国では狭い範囲のことを深く掘り下げてスペシャリスト(専 門家)を育成します.MITでは1科目が週9から12時間で構成されます. 通常,講義は週3時間(90分を2回または1時間を3回)で残りの時間は宿題 や演習,実験にあてられます.たとえば,ホログラフィの講義では,講義が3 時間で宿題が3時間,実験が6時間でした.このように講義と実験が密着して いるので,頭で憶えたことを体験により理解できます.しかし,この方式では 一度に受講できる科目は多くても5科目程度になります.そこで,多くの科目 からどれを選択するかの判断が重要です.と言うのも,どの科目を履修したか が後で述べるように就職に際して大きく影響するためです.

にんじん

 MITの院生・学生は研究や授業に対して非常に熱心であり,素晴らしい研 究成果をあげている人がたくさんいます.しかし,私はこれは環境にも原因が あると思っています.その環境というのは,「努力すればにんじん(褒美)が すぐに手に入る」ということです.べつに,褒美はにんじんでなくても良いの で,自分の好きなものをイメージしてください.さて,その「にんじん」は色々 と有るのですが,ひとつの例が前に述べた奨学金(RA)制度で,もうひとつ の例が就職です.米国では,就職の場合の給料などの待遇は会社と個人との契 約なので,同じ大学からの同期入社でも同じではありません.能力や専門分野 次第で大きな開きが出ます.学部と大学院で2倍違うこともあります.つまり, 彼(彼女)らが熱心なのも全ては自分のためで,努力は未来の自分への投資で あるわけです.就職に限らず,成果に対しての評価がすぐにあらわれるので, 努力のしがいがあるということです.しかし,「にんじん」は無限にあるわけ ではないので過当競争になってしまうと努力しても「にんじん」が得られなく なる恐れがあります.大学とは関係有りませんが,米国の大リーグのストライ キも「にんじん」取り競争の行き過ぎの結果です.  ただし,「にんじん」は物だけではありません.例えば,学生の皆さんの中 にはコンピュータゲームが好きな人が多いとおもいます.コンピュータゲーム で遊んでいる人は,何か物を得るためにやっているのではなくゲームをクリア したときの満足感を得るために熱中しているのだとおもいます.研究において も,難しい問題を解決したときの満足感はゲームとは比較にならないことを, ぜひ自ら体験してください.

むすび

 日本はどちらかというとリスクの有る新しいアイデアよりも確実な従来の方 法が好まれます.しかし,光エレクトロニクスなど一部の分野では日本のアイ デアで実用化されたものが増えてきました.ですから,所詮環境が違うからだ めだと諦めないでください.日本でも長引く不況を乗り切るための企業のリス トラクチャ(合理化)等を通じて横並び指向から競争指向への変化が見られま す.何か新しいアイデアを思いついたときに周囲が評価してくれなくても, 「辛抱強く仕事を続けていけばきっと評価される」と考えることが大切ではな いでしょうか.もしも,辛抱できずにすぐに評価をして貰いたいなら,アイデ アに磨きをかけて周囲をあっと言わせるようなものを考え出すのもひとつの方 法かもしれません.  逆に,すぐにめげてしまって新しいアイデアを出さなくなることのないよう にしてください.
先頭へ戻る 吉川浩のページに戻る